こうきちの小屋 はるのこうきち雑記ノート

抱きまくら抱きしめて眠るおじさんの日々

ぼくはてつぼうがすきじゃない

はるのこうきちと申します。

絵本作家になりたいなあと思っているおじさんです。

 

2010年発行で、「ぼくはてつぼうがすきじゃない」という絵本を自費出版しました。

同じ人物を同じ人物だとわかるように絵で描くことがこんなに大変なのかというのを痛感しました。

「もし将来、絵本作家になれたとしても、ストーリー専門で行くしかないな」と思わされた経験でした。

絵を描くにあたって意識した作品は「ぼくを探しに」「ビッグ・オーとの出会い」です。(大変おこがましいですが・・・)
共通点は「黒線のみで描かれた絵」ということだけです(汗)。

カラーだと費用が跳ね上がるという事情もあってのその絵柄でしたが、挙げたその2冊が好きだったのも事実です。

 

私が初めて取り組んだ作品、この「ぼくはてつぼうがすきじゃない」は、「絵本にしては絵が少ない。字が多い」という致命的な欠点もあり、売れませんでした。

(1000部印刷してもらって、最初に100部を自分用に引き取り。
保管期間は当初からの契約で3年間。
最終的に330部売れ残ってそれも引き取りました。
売れたのは570部という計算になります。
最後の引き取りに追加費用はありません。
着払いの運送料だけ負担をお願いされました。)

 

刊行直後、大手新聞の広告欄に私の本のタイトル(と、小さい字での内容紹介)が載りました。
(同時期に出版された他の自費出版タイトルや、自費出版のお誘い広告と一緒に。)
それが数回あったと記憶しています。
(当初の契約通りなので、その広告に不満は全くありません。)
あの広告だけで570部売れたというのは、今考えるとまあ健闘した方なのかもしれないと思います。

契約前に自費出版についての本を読んだところ「絶対に元は取れない」「身内に絶賛されて絶対に売れる自信があっても、絶対に元が取れるほどには売れない」とありました。
「そりゃそうだよな。普通はそうだよな。・・・でも俺のこれは売れると思う」と、自費出版する誰もが陥るらしい勘違いを私もしてしまっていました(笑)

契約前に、全国に(当時)小学校が2万校ほどあることは調べがついていて、「(この内容の絵本であれば)最悪でも、全国の小学校が1冊ずつは購入してくれるはず。そうすれば印税で元は取れる」と計算していました。
とても浅はかでした(笑)

印刷完了時にチラシも100部ほどサービスで付いていて、150校ほどの小学校に自分でそのチラシを送りました。「図書委員長様」宛で。私のメッセージも添えて。(チラシを増やした分のコピー代や切手代は自腹です。)
小学校の図書館の新規購入本はひょっとしたら先生が決めているのかもしれず、それなのに全国で570冊売れたということは、メッセージを読んだ図書委員長くん図書委員長さんの何人かはお小遣いで自分用に買ってくれたのではないかと思っています。(買ってくれた子、ありがとう!)

 

印刷完了当時、私の父が年金生活に突入したばかりで時間を自由に使えたこともあり、印刷直後に引き取った自分用100冊を父と母が二人で「販促活動」も兼ねて配りまくってくれました。
学校や幼稚園・保育園は先生が信念に基づいて購入本を決めているかもしれず、両親がありがた迷惑な顔を向けられるのは避けたかったので、「子供が多く来そうな病院の待合室に置いてもらおう」という作戦を私が立てました。
(待合室で読んだ子が「自分用にほしい」と思ってくれないかな、と期待して。)

父と母には私から「自分たちの子(私)の作品だということは言わないでほしい」と頼みました。
父と母は「ご近所さんからいただいた本なのですが~」というかわいいウソをつきながら、病院にばんばん配ってくれていました。
父と母はインターネットとは無縁の人たちでしたので、自分たちで地図で病院を見つけては車で訪問してくれていたようでした。
(ピカピカの新品本でしたから、意外に結構喜ばれたそうです。)

 

後年、父と母はTBS系で放送されたテレビドラマ「重版出来!」を二人で観たようで、母は「お父さんと二人、車で病院回ったな~。あれ思い出した~。あれ、いい思い出だよ~」と言ってくれていました。

全く元がとれず結構な出費となりましたが、両親とのそういうこと全てをひっくるめて、自費出版したことにいま悔いはありません。
経済的に、同じこと(=自費出版)は二度とできませんが、充実した楽しい日々を送れたと思っています。

www.ehonnavi.net