こうきちの小屋 はるのこうきち雑記ノート

抱きまくら抱きしめて眠るおじさんの日々

オカメインコのピー子

高校生の頃、オカメインコを風呂に入れてあげていたおじさん、こうきちです。
もちろん「たま~に」「洗面器」「ぬるま湯」ですよ。
でも妻は「絶対ダメだと思う、それ」と否定的でした。

羽根の油が落ちてしまう・・・とかですよね。でも、気持ちよさそうにしていましたよ、ピー子。

ピー子は外から飛んできました。たしか私が小学校高学年の頃に。
団地の上階だった「こうきち実家」のベランダに飛んできたんです。

母がそっと近づき指を差し出すと、飛び乗ってきてくれたのだそうです。
母方の祖母が小鳥を飼っていたので、母も鳥には抵抗がなく。

こうきち実家で保護しましたが、本来の飼い主さんが心配しているはずだということで、電柱や集会所に貼り紙がしてないか、こうきち実家メンバー全員、気にかけていました。
気にかけていましたが、一ヶ月ほどしてもそういう貼り紙を全く目にしなかったので、ピー子は晴れてこうきち実家の一員になりました。

その頃、こうきち実家は色々と苦しかったそうです。その当時、子どもには伝えられていませんでしたが。
後年それを伝えられた時に「そう言えば・・・、夕食のおかずにやたら『もやし炒め』が出てきた時期があったような・・・」と思い当たりました。
当時は「また『もやし炒め』か・・・」と思っていましたね(^^;
今は好きですが^^

母は、指を差し出したことについて「ピー子がしあわせを運んできてくれたような気がして・・・。」と言っていました。
そして母は、ピー子死後、「しあわせ、招き入れてくれたよね」と感謝していました。

ピー子はわがこうきち実家のアイドルでした。思い出はたくさんあります。
卵を産んだのでレディであることも確定していました。(一羽飼いだったので無精卵ですが)
晩年、軽く飛んでも「ぜえぜえ」が目立つようになり、愛を込めて皆から「ピーばあさん」と呼ばれることも多くなりました。

ピー子は、私の姉の初産が超難産だった(超難産を経て第一子を無事産んだ)、まさにその日に旅立ちました。
私は実家を出ていたので、ピー子最後の日々は共に過ごせませんでした。(ピー子の死も、「その日」の数日後、帰省した時に知らされました。)

新しいいのち(初孫)の誕生と、10年以上一緒だったピー子との別れ。
父と母には、感情の揺れ動きが激しい大変な一日だったことと思います。

出産直後はそのまま入院継続だった姉には、後日、退院後にその事実が伝えられました。
(里帰り出産だったので、隠し通すことは無理ということもあり。)

ピー子が「その日」に旅立ったのは、おそらくは、ただの偶然です。

でも、ピー子が、姉と新しいいのちを守って、悪さをしてくる何かを自分の身に引き受け、遠くに連れて行ってくれたように思われました。
泣く姉に、母がそう言っていました。
(だからと言ってもちろん「姉のせいでこうなった」ということではなく。「ただただ、ピー子に感謝しよう」という意味で。)

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妻と結婚後、ショッピングモールに行った時、ペットショップにオカメインコがたくさんいました。
「うわ~、同じオカメインコだけど、うちのピー子の方が断然かわいかったな~。まず、目が全然違う」と私は妻に言いました。
「これ絶対ホントだから。写真あるから帰ったら探して見せるから」

帰宅して見つけたピー子の写真。
見た目は、その日見たオカメインコとほとんど変わりませんでした(笑)
飼い主バカ(?)フィルターがかかっていたことを認めざるをえませんでした(汗)

でも、その写真の中で私の肩にとまっているピー子は、私にとってはかけがえのない、唯一無二のピー子でした^^

そしてそれは、わが子のために迎え入れ、そして旅立ったハムスターの「ハムー」にも言え。
そして今私たちを癒してくれているわがこうきち家の「ことり」にも言えることです。

「ピー子」、「ハムー」、「ことり」。
ありがとう^^

「ことり」、長生きしてね^^

ナカジマコーポレーション(Nakajima Corporation) ぽてぴよ オカメインコ ノーマル ビーンドール 147615-20

 

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