数ヶ月休止していたブログを再開して。
そんなつもりはなかったのに、気づいてみれば連続投稿が継続中。
そんなつもりはなかったから、明日は強制的に投稿を自重する。
連続投稿が自分へのプレッシャーになったら嫌だもんね。
途絶えさせるぞ!おー!
数ヶ月休止していたブログを再開して。
そんなつもりはなかったのに、気づいてみれば連続投稿が継続中。
そんなつもりはなかったから、明日は強制的に投稿を自重する。
連続投稿が自分へのプレッシャーになったら嫌だもんね。
途絶えさせるぞ!おー!
随分昔のことだが、イベント会場からたくさんの人が吐き出された時だったか。駅改札に上っていく階段が人でぎゅうぎゅうになり、みな歩みを止めざるをえなくなった。改札口が見えない位置だったので何が起こっているのか今後どうなるのかもわからず、群衆の心が少しだけいらついて来たその時。
一人の若者が言った。結構な範囲に聞こえる声で言った。
「止まった!・・・王蟲が止まったぞ!」
クスッ
クスクスッ
っと笑いが起こり、その場にいた王蟲たち(?)の心の中の攻撃色が消えていくのがわかった。
出勤タイムではなく、気持ちが急くような時間帯ではなかったことも大きかったと思うが、その場にいた人びとの気持ちは緩んだと思う。
その後、少しして人が流れ始め、皆無事に改札の中に入って行った。
残念ながら、その日その名言(?)を発したのは、私ではない。
先日、妻が体調不良で入院した。
妻の体調が著しく悪い事実は家族全員で共有していたので、ここのところ全面的にサポートしていた。
「こうきち、夜の部の労働」と称して、仕事から帰宅した私が(夕食セルフからの)全員分の皿洗い、いつもの受け持ちである翌朝出しのゴミまとめ&風呂掃除に加えて、夜のうちに洗濯(取り入れ・洗い・干し)等、全部やるようにしていた。
だから「こんなになるまで気づいてやれなくてすまぬ」的な自責の念はなかった。
病院に行くように促したのも私だし(苦笑)
妻が自責の念にかられていた。
「こんな大ごとになるまで病院に行かずにすみません。失敗だった・・・」と。
妻は何人もの医師に
「生きている人間でこの数値がこんなに低いのを初めて見たよ」
と言われたそうだ。
妻は一週間弱、入院した。回復のための治療と安静療養のために。
早い段階で「命に関わることではない」と聞かされたので安心したが、最初は私も動揺した。
お母さん大好きのわが子も内心かなり不安になっただろうが、不安な様子は見せずに持ちこたえてくれていた。
(後日、妻は医師から「(あの数値だと)死んでいてもおかしくなかったんですよ」と言われたらしいが、まあ、その時はそれを言われなくてよかったと思う。)
妻不在の一週間弱。
わが子はとても協力的だった。
聞き分けがないようなことは一度もなかった。
(元々、ここのところそういうことはもう無いのだが、状況が状況だけに、不安定になることも予想されたが、それは一切なかった。)
わが子は気丈に頑張ってくれた。
私がガチャガチャでわが子の頑張りに報いてあげたいと思ったのは、そういう事情からだった。
(そのへんについてはこちらの過去記事に書いた。)
haruno-koukichi.hatenablog.com
入院中の妻から夜に「ヒマだ。眠れないし」とラインが入った。
私は、これまでに妻が私にラインで送り付けてきた「おもしろ写真」を全部送り返してあげた。
私の頭頂部が寝ぐせで鬼太郎の妖気アンテナみたいになっている(そして私はそれに気づいていない)。そんな写真。
あるいは、テレビドラマでよく見る「刑事に腕を背中側にねじり上げられているような体勢」、
なぜかそんな体勢で私が横向き昼寝をしている、ただそれだけの写真。
(なんでそんな体勢で寝ているの?透明人間の柔術家にやり込められているの?)
その他いろいろ、もうここぞとばかりに送り返してあげた。
一番おもしろかったのは、わが子の「ナイトクローラー(Uma)」
その晩に撮ったものではなく、以前妻から送られてきた写真。
わが子がふざけてパジャマの長ズボンを思いっきり胸まで引き上げて、腕もその中に入れ込んで。
それだけ引っ張り上げているので、ズボンがお尻の割れ目に食い込みまくって。
(その晩、私がその写真を「尻星人」と名付けた。)
個室入院ではなかったから周囲の迷惑にならぬよう妻は笑いをこらえねばならず、妻からは
「やめれ」
「もうやめれ」
「やめてけれ」
とラインが入り続けた。
私とわが子は(そしておそらく妻も)ちょっと変なハイテンションになっていた。ラインで写真を送り付け合った。
超楽しかった。
私とわが子が爆笑し続けた夜だった。
妻は別拠点で二手に分かれてしまったが、旅行先での夜のようだった。
私は一言もそういう感想を口にしていないのだが、後日、わが子も「旅行みたいだったね」と笑っていた。
先日、「上等なたけのこ」をいただいた。たけのこ農家さんが育てたたけのこ。
妻が調理してくれた。
上等なたけのこだと「刺身」という食べ方があるのを、妻と結婚して初めて知った。
おいしい。
煮物もおいしい。
私としては、バター醤油で焼いたものが一番好きだ。
ほくほくしていた。
たけのこに対して「ほくほく」なんて表現を使う日が来ようとは。
でも、本当にほくほくしている。恐るべし、上等なたけのこ。
こどもの頃、私の両親がばあちゃんちの近くで野生のたけのこを掘り出し、それを「うすく・小さく」カットして、バター醤油で炒めたり、きんぴらに仕上げたりしてくれた。私にはあれも絶品だった。あれは思い出の味だ。
思い出のたけのこも上等たけのこも、両方おいしい。
上等たけのこは義理のお父さん(義とうさん)が送ってきてくれた。
義かあさんが亡くなる前、毎年一緒に買いに行っていたそうだ。
「私が死んでもこのたけのこ、毎年送ってあげてね」
義かあさんは義とうさんにそう言い遺してくれたとのこと。
義とうさんが、たけのこ農家さんまでの道中、義かあさんを感じられたことを祈ります。
ありがとうございます。義とうさん、義かあさん。
おかげさまで、私たちはしあわせにやっています。
haruno-koukichi.hatenablog.com
この記事(↓)の後日談。
haruno-koukichi.hatenablog.com
この後日、わが子を連れて私はもう一度そのガチャガチャに行った。
「ダメ人間・バカ親で構わない。俺が俺の意思で俺の金でわが子に目当ての品を手に入れさせる」
そう思い決めて、100円玉を大量に準備して、二人で行った。
わが子には
「お父さんが決めたことだから。申し訳なく思わなくていいから。」
と伝えた。
「出るまでやるぞ!」と。
今回は特別。わが子の頑張りに報いたかったので。
わが子、お目当てのガチャガチャに現金投入。
いざ回さん!
しかし・・・、回らなかった。カプセル切れだった。
がびーん。
回す前からカプセルが見えてないのは二人ともわかっていた。
でも、前回の大惨敗の日に、一番上の方に目当ての品があるのが見えていたので、逆に期待大だった。
「それが最後の一個で残っているのでは?」と。
なのに、この結末。
わが子、きちんと気持ちを整理できていたが、少し残念そうだった。
返金レバーでお金は回収できた。
(後日、「カプセル切れです。補充されるまで休止中」の札がかかっていた。)
結局、メルカリで買った。
私はメルカリに登録していないので、「お金は俺が出すから」と妻にお願いしてメルカリで買ってもらった。
「そのガチャガチャ1回分以上、2回分未満」、それだけの金額で手に入った。
教訓。
最初からそうすればよかったね・・・。
品が届き、わが子、喜んでいた。
次どうしてもほしいものがあったら、その時はメルカリにしような、わが子よ。
仕事帰りにスーパーマーケットに寄った時、自転車置き場で倒れた自転車を起こそうとしている人がいた。
明らかに私より年上のご婦人だったので「お手伝いしますよ」と声をかけて手伝った。
重なってはいなかったので、最初の一台がご婦人のものかと思っていたら、2台目3台目と手をおかけになって、6台くらい二人で起こした。
二人だったのでとても楽だった。
ものすごく感謝されたが、二人だったおかげでとても楽だった分、そんなに感謝されてちょっとこそばゆかった。
もしかしたら、従業員用の自転車置き場だったのかもしれない。
お仲間の分まで起こしておいてあげたかったのだろう・・・と考えると合点がいく。
お礼も、そういうこと込みだったのかもしれない。
「お客様に手伝っていただいて、本当にもうありがとうございます」というような。
このくらいなら、お安い御用です。
楽ちんでしたし^^
ちなみに、その時は風は吹いていなかった。
強風が原因で自転車が倒れている時。かつ、強風が続いている時。
そういう時は起こさず素通りするようにしている。
起こしてもまた倒れるだろうから。
自転車にキズが付く・自転車のどこかしらがが歪む、そういう危機に改めてさらすようなものだから。
そのせいで言いがかりをつけられたら悲しいし、持ち主も二度三度の転倒は望んでいないだろうから。
この時のことについては、「お手伝いしますよ」と言えて良かった。
自分ではそう思っている。
今日から腕立て伏せを再開した。
数か月前にも一度、幾年ぶりかわからないくらい久しぶりに再開。週に1回で続いていたものが、熱が出て寝込んでから途絶えていた。
今日からまたやっていく。
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全身運動としてタバタ式4分間運動も再開しよう。
これも熱が出て寝込んでから、途絶えてしまっていた。
もうじじいだから、バービーのみ。4分間のみ。
数年前にバービージャンプでやっていた頃。やると決めていた曜日が来ると朝から憂鬱だった。たった4分間で終わるのに。
でも、じじいにはきつ過ぎた。バービーで十分。
風雨が強かった日の夜、さしている傘が裏返るようなそんなニュース映像を見た時。
「こんな日に傘は無理ですよ。レインコートにした方がいいですよ」と思っていた。
これまでの人生で傘が裏返ったことはないような気がする。
でも先日、朝の通勤時に裏返った。何度も。
そんなに風が強い日だとは思っていなかった。油断していた。
何度も裏返ったことで、傘の骨が一本折れていた。折れてちぎれていた。ぶらんぶらんと。
一張羅の傘だったのに。
ホームセンターの階段で(なぜか階段に置かれて)叩き売られていた、300円ぽっきりだったお前。
300円には見えないクオリティで満足度200%だったお前。
こんな日にさしてしまってすまぬ。悔やまれた。
でも。
死なせはしない。
持ち帰り、添え木をし、添え木と骨をビニールテープでぐるぐる巻きにした。
直った。十分使える。
これで十年はもつだろう。
よかった。
「修羅の門 第弐門」
(連載は随分前だと思うが、一応お伝えすると「ネタばれ」あります。)
私のブログは普段からアクセスが少なく、このタイトルで記事を開く方がいるとも思えないが、一応。
では何のためにアップするのだ?という疑問は置いておいて・・・。(書きたいから書くのさ。それだけさ。)
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初読はコンビニでの月刊マガジン立ち読みだったが、単行本でいうと2巻のラスト1ページ前。
正体不明のマスクマン唵(おん)が素顔をさらし「毅波秀明」だと名乗った時。
全く予想していなかったが、
「毅波秀明か!」と思った。
すぐわかった。
「うわっ!そう来たか!そっか~」と思った。
(「修羅の門」の愛読者でも、「誰?」と思った人はいたと思う。)
毅波秀明が誰なのかすぐわかるくらい修羅の門が好きな私だった。
でも、その日その晩、それ以降、それを誰とも共有することもなかった私だった。
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「修羅の門」18巻より
海を渡った先のアメリカで人種差別的逆風を受ける主人公・陸奥九十九。言いがかりをつけ暴徒と化したアメリカ人たち。陸奥九十九はその暴力に対して受けて立とうとするが。
そんな中、アフリカ系アメリカ少年(ダニー・マクガード)が、今のその場面において主人公陸奥九十九には全く非はなかったことをその場にいたアメリカ人たちに訴え、場が収まった。その後のシーン。
P108,109
「ローマンが負けた相手があんたでよかった・・・・
サ・・サインもらえるかい ニンジャボーイ
このシャツに
あ・・・・でもペンもなにも持ってないや・・・・」
「名前はなんてんだ・・・・!?」
「え・・・・
ダ・・ダニー・マクガード」
「オレはムツ・ツクモだ
ダニー・マクガード・・
おまえの名前は一生忘れない
サインのかわりにならないか!?」
「う・・
ううん
ううん」
いいこと言うなあ、陸奥九十九。ダニー・マクガード少年はうれしかっただろうな。
一生忘れないと思っていた相手の名前を忘れてしまったことがある私には、耳が痛いというか胸が痛むというか・・・
その時の私は求めに応える側ではなかったので、立場は全然違うのだが。
でも、いいこと言うなあ、陸奥九十九。
ちなみに、私が「一生忘れないと思っていたのに名前を忘れてしまった相手」は、ヒッチハイクで600km乗せてくれたトラック運転手さん。
この過去記事で触れているのだが、あれは私にとって、とても良い思い出になっている。
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