こうきちの小屋 はるのこうきち雑記ノート

抱きまくら抱きしめて眠るおじさんの日々

1000km以上ヒッチハイクした話

随分昔のこと。私が20歳を少し過ぎた頃、1000km以上ヒッチハイクして実家に帰省したことがあります。

本来はそういうキャラではありません。
例えば、散髪屋さんでは「今日はどうしますか?」のやりとりを最初にした後、終わるまで雑談は一切ない方がありがたいです。
(そういう対応ではなく「ずぅ~っと喋りかけてくる散髪屋さん」だと2回目行くことはなく、「目をつぶったまま無言でOK」が判明した散髪屋さんに通い詰めるようなキャラです。)
そういう私ですから、知らない人との触れ合いが必須のヒッチハイクなんて、本来なら絶対回避する側の人間です。

そんな私。20歳を少し過ぎた頃、対人恐怖というか、外出恐怖というか、ちょっとだけそういう状態になりまして。
それで、私がバカなところは「ショック療法で解決しよう!」と思ってしまったところで。(当時は当然そんな軽い感じではなかったですが・・・)

それで私、英語が全く喋れず海外に一度も行ったことがないのに、ツアー旅行ではなく外国に行ってみようと思ってしまいまして。(日本からの直行便もない国に。)
でも、それは実現しませんでした。旅行会社に問い合わせして、調べてもらうところまでやってしまったのですが(汗)
(この海外渡航は実現しなくて良かったように思います。当時のそんな私がそんな感じで海外に行っていたら、大トラブルに巻き込まれていたか、立ち直れないような精神状態になってしまっていたのでは・・・?と恐ろしくなります。実現しなくて良かったです。)

当時の私が考えたその海外旅行が無理と決まった時点で、「じゃあ、それを予定していた期間を使って、実家まで1000km以上をヒッチハイクで帰ってみるか」と方向転換しました。
それで、実家まで1000km以上、ヒッチハイクで帰りました。

以前「そういうことをしたことがある」という人の話を聞いたことがあって、その時は「うわあ、すごいなあ」「交通費が浮くのは魅力的だな」と思いました。でもその時、自分もやってみようとは思いませんでした。本来はそういうキャラではないですし。

やってみたらできたのですが、私の場合は「高速道路」でやりました。
高速道路に入るゲートのそれなりに手前で、「サービスエリアまで」と書いたスケッチブックを掲げていました。
ここが一番難関だろうなと思っていましたが、予想に反して数十分で乗せてもらうことに成功。運送のトラックでした。
「俺が入れる中で一番大きなサービスエリアに入るよ。そこより先にも小さいのがあるけど、大きい方が次が見つかりやすいはずだから」とそういう配慮までしてもらえました。

とても大きなサービスエリアで降ろしてもらい、お礼を言って別れました。
メモ帳に「乗り継ぎ記録」だけ残そうと思ってペンを走らせようとしたら、手が震えてまともに字が書けませんでした。
下の一般道だったら、まあ途中でやめることもできるし、どうとでも軌道修正できる。
でも、高速のサービスエリアに降り立った以上、次に乗せてくれる人を見つけないと大変なことになる(?)。
そういう意識はありましたので、その不安がペンを握る私の手を震わせました。
(手が震えて字が書けない経験は、今までの人生でその時の一度きりです。)

本来のヒッチハイクとはちょっと違うのかもしれませんが、私はサービスエリアでトラックの運転手さんに手当たり次第に声をかけました。
駐車中のトラック運転席にいた運転手さんや、休憩やトイレを終えてトラックに戻ってきた運転手さんに。
当然、結構断られました(笑)
それでも、不安になるほどの時間を費やすこともなく、どのサービスエリアでも「次の方」が見つかりました。

比較的寡黙な方が多かったです。
「乗せてやるからよ、俺が眠くならないように喋るのがお前の役目な」というような方は一人もおらず、逆に「退屈してたんだ、俺の話を聞いてくれよー」という方も一人もいませんでした。
冒頭で触れた散髪の時とはわけが違いこちらは乗せていただいている身ですから、気を使って私にしては結構話しかけたつもりですが「まあ、そんなに気を使って話しかけてこなくて大丈夫だよ」という感じを伝えてくれる方が多かったように思います。
そんな感じで車中でもさほど会話がないので、別れ際も「じゃあな、にいちゃん。この先もがんばりな~」という感じでした。
でも、冷たい感じもなく(見ず知らずの私を乗せてくれるくらいの方たちですから当然ですが)、言葉はなくても、なんとなく居心地のいいドライブを味わせていただいた実感しか残っていません。

それで、残り半分ほど、あと600kmというくらいのところで残り全てを乗せてもらえる方と出会ってしまいまして、「次の方」探しの心配から早々に解放されました^^

山あいの道、助手席から観た夕日がきれいでした。
サービスエリアの食堂で食事も一緒にとり、車内で一緒に仮眠し、600kmを共にしました。
20歳ちょっとだった私に対して、その方は50代半ば~60歳くらいだったように思います。

その600kmの方は私の実家よりもさらに先に向かう方でしたが、ちょうど高速を降りるのが私の実家近くのインターだったこともあり、下の一般道にきちんと降ろしてもらえてヒッチハイク完了でした。

600kmの方のお名前は教えていただきました。私、そういうことの記憶力には自信があったので「一生、絶対忘れないだろう」と思っていたのですが、今思い出そうとしたら、候補が二つあって、どちらが正解か自信が持てません。あちゃ~、600kmの運転手さん、お名前に確信が持てなくなってごめんなさい。お顔はしっかり憶えています。
お名前は自信がなくなりましたが、でも、乗せてもらえたあの時間のことは一生忘れません。本当にありがとうございました。

早朝にスタートしたヒッチハイク。実家到着まで何日かかるかわからないと思っていたのですが、1000km以上だったのに「翌日昼」には実家に着いていました。

そして、元々の目的だった「対人恐怖(外出恐怖)をショック療法で解決する!」
これは効果がなかったです(苦笑)
あまりにも普段の私とは状況が違うので、『別人を演じているような』、そんな感じもあったためだと思います。
だから、ヒッチハイク中は何も問題ありませんでしたが、終わったら「いつもの自分」が待っていただけでした(笑)
そうそう簡単には「もう何も怖くない!」みたいなことにはなりませんよね(苦笑)

日常の困りごとは日常で少しずつ克服するしかないんだろうな、と思う今の私です。

(私のこの記事のせいで大変なことになってはいけませんので一応書くと、ヒッチハイクはあまり気軽に考えない方がいいように思います。
一般道では特に(高速ヒッチハイクでも一般道に降りる時は特に)、金品を取られて変なところで降ろされないよう「仕事で走っているトラック運転手さん」にお願いすることを念頭に置いた方が良いような気がします。)

人を信じることも大事ですが、一応、忠告(?)でした。

でも、私にとってはあの旅はとても良い思い出です。

 

 

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