こうきちの小屋 はるのこうきち雑記ノート

抱きまくら抱きしめて眠るおじさんの日々

田舎町で起きた小さな奇跡

私が小学生だった頃の私が住む地方では、小学校の校区内で、「町会ごと」に女子のチームが結成され、女子のドッジボール大会が行われていました。
優勝チームは次の地区大会へ、そこでも優勝すればさらに次の大会へと先につながっていく大会だったように思います。
私の実家は団地だったので比較的子どもが多く、他の町会は「一町会一チーム」のところ、「団地だけは二チーム結成」が許されていました。(女子だけ)

この大会前になると、子どもは大会に向けて毎日放課後に練習をします。
毎年ボランティアで監督を務めていた熱心なおじさんがいました。
監督は毎日の練習に付き合う必要があるので、その時間にいる必要がある。
熱心なそのおじさんはその条件をクリアしやすかったようで、毎年Aチームの監督を引き受け、熱心に取り組んでおられました。
(Bチームは「今年だけなんとかお願いします」と依頼された人が引き受ける形で、毎年監督が代わっていました。)

Aチーム監督おじさんは、最初に練習ゲームのようなことをさせ、ドッジボール能力が高い子を選抜し、自分が受け持つAチームとしていました。
姉が6年生の時、6年生では姉だけがAチームから漏れました。(もう一人いたかもしれません、もしそうだったらすみません。)
Aチームは、運動神経がよく球技センスが高い6年生5年生で固められました。
「6年生は姉一人」のBチームは、お向かいの棟のおっとりした優しい5年生のお姉ちゃん以下、4年生3年生までで何とか人数を揃えたチーム状況でした。

男子は男子で同時期に別の競技で同じように大会があります。
団地チームの男子の練習は小学校のグランド。団地チームの女子は公園のグランドが練習場所でした。
私は6年生になって初めて試合に出られるようになったので、まだ6年生ではなかったその年は「絶対出番なし」の気楽な立場でしたが、練習には毎日参加していました。
そういうこともあり、姉チームの練習を一度も観たことはありませんでした。

一ヶ月ほどの練習期間を経ての、大会当日。
「当然のように出番なし」の自分の大会を気楽に終え自宅に戻った私に、驚きのニュースが待っていました。

「姉ちゃんのBチーム、優勝した」

驚きました。

後日、写真を見せてもらったのですが、優勝が決まった瞬間、Bチームの女子たちが心からのうれしさで両手を突き上げジャンプしている写真がありました。
姉ちゃんも、お向かいの棟のおっとりした優しい5年生のお姉ちゃんも、Bチームにされて悔しかったんだと思います。
リベンジ完遂。
子ども心に「すごいことが起こった・・・」と思いました。

その年(その年だけ)Bチームの監督をしたのは、私の父でした。
一ヶ月、どんな練習をしたのかは知りません(汗)
営業先から当たり前のように直帰できる図太い会社員だった父。
大相撲中継が終わる前に自宅にいることも多かったので、放課後の見守り役を引き受けやすかったのはわかっていたのですが、監督としてそんなミラクルを起こすなんて・・・。

でも、賞賛されるべきは、違いますね。
賞賛されるべきは、前評判を気にせず強敵にひるまず、悔しさをプレーにぶつけ優勝まで勝利を積み重ねた、Bチームの選手たちだと思います。

それに、「リベンジ」でこの優勝を捉えていたのは、部外者の私だけだったのかもしれないです。
Bチームの女子たちは、一日一日少しずつでも自分がうまくなっていくのが楽しかったのかもしれない。
「(どうせ負けるから)適当にやっていいよ」ではなく、作戦を授けられるのがうれしかったのかもしれない。
授けられた作戦に応用をきかせて自分たちで考えるのが楽しかったのかもしれない。
日に日に連携が良くなっていくのが楽しかったのかもしれない。

それに加えて、『もし』ですが。年下しかいないBチームのチームメイトが
「6年生で一人だけAチームから漏れたのに、腐らずにチームを引っ張ってくれたこの6年生のお姉さんを『優勝キャプテン』にしたい」
そんな思いももし抱いてくれていたのだとしたら、弟としては誇らしく、また、感謝の気持ちでいっぱいですが・・・
それは想像を働かせ過ぎなのでしょうね(汗)

私の無駄な想像話は脇に置いておくとしても、
あれは、田舎町で起きた小さな奇跡でした。

 

 

 

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