こうきちの小屋 はるのこうきち雑記ノート

抱きまくら抱きしめて眠るおじさんの日々

私の父

私の父は間違いなく「サバイバル力」が高い人です。(たぶん)

今日のこの記事の中では、「生き物の命をありがたくいただく」という文脈ではありますが、「グロい」と言われる分野も含むように思いますので、そういうものが苦手な方はここで閉じてください。

 

銀峯 貫入9号 土鍋3-4人用【万古焼】

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私の父は生年月日からいうと戦時中の生まれです。
その世代の男なら皆同じことをやれる・・・とはとても思えないこととして、父は生きているニワトリをしめて捌けました。
食用ガエルも。
私は気持ち悪くてその現場を見学したことはありません。

猟師の家系だとかそういうことでもなく、父はサラリーマン(ネクタイ仕事)の人生でした。なのに、そんなことをこなせる人。

当時、母方の祖父母が自分たちで食べる用の卵を産んでもらうためにニワトリを飼っていまして、それを最後はお肉としていただく流れになっていたようです。
じいちゃんも当然ニワトリをしめて捌けたはずですが、大変は大変なのでしょう、父に頼んだケースがありました。
父は普通に「あ、いいですよ」と引き受け、鍋の具材になるところまできちんと仕上げていました。
すごすぎる・・・。

近所の田んぼでたまたま父が食用ガエルを見つけ、父が捕獲して捌いてじいちゃんちの夕食に出されました。
私は、さすがにこの日は気持ち悪くて遠慮した気がします。
でも私、「食用ガエルの唐揚げを食べたことがある」という記憶はあります。
多分、後年、父と一緒に居酒屋かどこかに入った時にそのメニューがあったんだと思います。
父が昔を懐かしがって注文し、一かけら私に勧めた・・・というような流れだったような。
見た目は完全に鶏の唐揚げだったので、一つ食べてみた。何も言われなければ鶏肉と変わりない肉だった。
多分、そんな感じです。
(私はカエルが苦手で見るのも嫌ですが、この時食べた肉は「あ、おいしいね」の感想でした。)

父は野草についても同様でした。
つくしくらいなら私も見ればわかりますが、父は土手に生えているような草の中から、漬物にするとおいしいものだけ刈り取ったり、きれいな川から自生のクレソンやセリをよく取ってきていました。
私が30歳を過ぎた後の帰省の時だったと思いますが、炊き立て白ごはんにセリをまぶしただけの「セリごはん」を出してくれました。
「これ、うまい・・・」という感想を抱いたことを憶えています。

父は釣りが好きで、こちらでもそういう能力を発揮していました。
一般的には「臭くて食用にすることを避けられている、ある海の魚」、うちは父が釣ってきたものを刺身で食べていました。
うまかったです、とても。

私は後年にテレビで観たのですが、板前さんが言っていました。
その魚は海から上げた直後にしめていい具合に血抜き(?)をすると、臭みが全く気にならず、刺身がおいしいです、と。
父、確かにその魚の時は、釣り上げたものをいったん海中のネット魚籠(びく)で泳がせておいて、切り上げる時にしめて血抜きしていました。
(ひれに強い毒があるということで、ひれをハサミでバリバリ斬り落とした上で。)
手際の良さ、見事でした。
「だから刺身があんなにうまかったのか」と、板前さんのそのテレビを見てそう思いました。

そういう釣りの時、私は見学だけでした。付き合いで同行しても「俺は海風に当たれればそれでいいよ」ということで、本当に見学だけしていました。

でも、成人してから一度、ハゼ釣りは私も竿を持って一緒に釣りました。
私のどの落ち込みの時のことだったか忘れましたが(笑)、私にちょっとつらいことがあって、その後帰省した時、父が「ハゼ釣りでもするか」と誘ってくれたのです。
母も「二人でハゼ釣りでもしておいで」と。
ハゼは私でも簡単に釣れて、ウキを見ている間はそれに集中できて、ありがたい時間でした。

今日のこの記事の書き始め時にはこのハゼ釣りのことは全く頭にありませんでした。
いい思い出を思い出せて得した気分の今の私です。

 

 

玉浮き: 掌編小説集

こちらの小説の内容は全く存じ上げないのですが、ウキの「ウキ感」がとても良かったので貼り付けさせていただきました。

 

ささめ針(SASAME) H-101 ハゼ玉ウキ3.6m 4号

 

haruno-koukichi.hatenablog.com