こうきちの小屋 はるのこうきち雑記ノート

抱きまくら抱きしめて眠るおじさんの日々

人それぞれ

私は幼稚園の年少の時に、教室で小便をもらした。
全員が椅子に座って机に向かい、全員が各自で静かに同じ課題に取り組んでいた時だった。
その静寂を破って先生に「トイレに行きたいです」と言えなかった。
我慢の限界を超え、もらした。
「あ~!先生!はるのくんの席の床!!」という感じで皆の知るところになり、私は下を向いたまま固まっていた。
でも救いだったのは、やいのやいのとからかわれなかったこと。多分、そうだったと思う。

先生も、急な呼び出しで駆け付けた母も、苦笑いだった。

「おしっこしたくなったら、いつでもいいから先生に言うんだよ」
その後、私はいつでもきちんと先生に「トイレに行きたいです」と言える子になった。

小学5年生の時、クラスで権力ナンバー2のポジションにいた男子が、授業中に小便をもらした。
まさに、私が幼稚園年少の時にもらしたのと同じだった。

5年生で言えないのか?!権力ナンバー2で偉そうにしてるのに?!と驚いた。
「大便」なら言えない気持ちもわかる。
私が子どもの頃、小学校のトイレで男子が大便をするのはとんでもない危険性をはらんでいた。
大便してきたことを勘付かれてしまうと「うんこマン」呼ばわりされる恐れがあった。
ほとんどの男子は小学校で大をもよおすことを恐れていた。私もそうだった。
(しかしまあ、そういう割には私は小学校のトイレでも結構「大」をした。
しかし、「うんこマン」襲名は避けたかったので、気づかれにくい体育館の外トイレを目指したり、職員トイレを拝借したり、1年生2年生の教室が並ぶ別階のトイレに遠征したりしていた。しぼれる限りの知恵をしぼったと言っていい。)

話を戻す。
そのくらい、男子にとっては小学校で大をすることは恐いことだった。
だから、「大の便意」を申告できずに5年生が大をもらすことの方がまだ理解できた。
でも、彼の場合は「小」の方だったのだ。

ここまで書いておいてなんだが、小便もらしや大便もらしは心に大きな傷を残す場合もあるらしいので、からかいテイストは自重する。(ここまでも一応自重したつもり。)

私がこの「ナンバー2男子の水のトラブル」から学んだことは一つ。
「何に抵抗を感じるのかは人それぞれ」ということ。
大ではなく小だって、言えない者は言えないのだ。

自分から見ると「そのくらいのこと」であっても、別の者にとってはそうではない場合もある。
私は彼の「水のトラブル」のおかげで、そのことを学んだ。

そして今。不登校のわが子と向き合う時も、このことは少し意識にある。
大人から見ると「そのくらいのこと」であっても、わが子にとってはそうではない。そういうこともきっとあるのだ。

 

余談だが、厳しい時は厳しかったこの年の担任の先生は、この時は彼に対して優しかった。彼の傷が深くならないよう、細心の注意を払って対応していたように思う。
「優しい大人だったんだな」と今思う。