こうきちの小屋 はるのこうきち雑記ノート

抱きまくら抱きしめて眠るおじさんの日々

あの夏だけは

私は学校の水泳の授業が嫌だった。体育の授業が水泳に切り替わる初夏、毎年毎年本当に憂鬱だった。

でも、体育の水泳が嫌ではなかった年が一年だけあった。
水泳の授業が楽しかった。その夏だけ。
(あ、もうここで書いておきますけど、「指導役がセクシー美女だったから。」とかではないですよ。)

水泳の授業が憂鬱だった理由。
私はクロールの息継ぎが怖かった。

原因はわかっている。
幼稚園児だった頃だと思う。
たしか、おばさん一家も一緒に市民プールに出かけた日。いとこたちとも一緒にプールで遊ぶ感じだったのだと思う。
その日より前に連れて行ってもらった屋外のちびっ子プール(水深がちびっ子のひざ下くらいしかないような浅いプール)、そのプールと同じだと勘違いして、小さかった私は大人用の普通の遊泳プールに一歩踏み込んだのだった。

全然浅くなく、ドボンと落ちた。
後の私なら「あれ?!しまった!」と思ってとりあえず息を止めるくらいはできたと思う。
(大人になってからも一度そういうことはあった。)
でも、その時の私は水中で叫んでしまったのだった。
大量の水を飲んだ。
苦しかった。とてつもなく苦しかった。
それ以来、水が怖くなった。

少し話はそれるが、水が怖い私はクロールの息継ぎが恐怖でしかなく、(一応できることはできたのだが)、水を飲む恐れがある息継ぎの回数を少しでも減らすべく、本当に苦しくなるまで息継ぎをしなかった。
今思えばだが、それって酸素が体に不足して、苦しさを倍加させていたのでは?と思う。
オリンピックレベルなら、タイム短縮のために息継ぎを減らすとかはあるのかもしれない。
でも、私は水泳授業をなんとかやり過ごせられればそれでよかった、ただそれだけのカナヅチ君なのだ。もっと息継ぎして新鮮な空気をもっともっと頻繁に取り入れれば良かったのに・・・って、それは無理なのだった。だって、何よりも息継ぎが怖いんだから。
そんな私はクロール25mを一本泳ぐだけでへとへとだった。
それを何本も何本もやらされるのだから、体育の水泳が楽しいわけがないのだった。

私の姉は泳ぎが得意で「やっとプールの季節だ!やったー!」という感じだった。水泳の授業が嫌いな小学生が存在すると知った時(私がそのことを話した時)、姉は大層驚いていた。いや、そういう子はいるよきっと他にも。そんなに驚くこと?と思った。

話を戻す。
それほど体育の水泳が嫌だった私が「これなら楽しい!」と思ったのは、小学校6年生の夏。
6年生での水泳の授業が始まって、私は気づいた。
水面で体をまっすぐ伸ばして浮いた状態の私は、クロールで息継ぎするような感じで体をよじると、プールの底に手が着いた。
私はでかかった。
プールの底に手をつきながらのクロール息継ぎはとてつもない安心感があった。
怖くない!楽しい!これなら楽しい!

あの夏。たしかに私は手が届いたのだ。プールの底に。

(絵本作家になりたいという夢にはなかなか手が届かない私だが。)

そして翌年。
中学のプールは、小学校のプールより深かった。
私のパラダイス水泳は1シーズンで終わったのだった。