こうきちの小屋 はるのこうきち雑記ノート

抱きまくら抱きしめて眠るおじさんの日々

【発達障害児の親】弱虫父の思い「校長・教頭をはね返した日」

私(たち一家)の苦労自慢のように読めてしまうかもしれないので、そういうのがお嫌いな方はここで閉じていただいた方がいいと思います。
是非そうしてください^^
(「こんなの苦労のうちに入らないよ」と思われる可能性もありますが(苦笑))

わが子は発達障害と診断されましたが、元気に育っています。

幼稚園に入園し、退園し、保育園に移ったお話は過去記事に書かせていただきました。

haruno-koukichi.hatenablog.com

haruno-koukichi.hatenablog.com

小学校は特別支援級に通う形を選択して入学しました。

1年生の時の担任に決まったベテラン先生が江戸っ子のような感じ(?)でした。
それで、先生自身は怒っているつもりがなくても、いつでもなんとなく怒っているようで怖い。
怒っていなくても怖いくらいだから、本当に怒っている時は、当然ものすごく怖い。
誰かが叱られていると(叱られているのが自分じゃなくても)怖い。そしてそういうシーンは頻繁に、本当に頻繁に起こる。

そして、子ども同士のことはお互い様の部分もあるでしょうが、年上のクラスメイトの過干渉(わが子からすると過干渉)が、ストレスを蓄積させていったようでした。

そんなこんなで、発達障害児であり「繊細さん(HSC)」でもあるわが子は、学校に行けなくなりました。

わが子が「自殺」「自死」という言葉を知らなかったからでしょう。
その時小学校2年生だったわが子は毎晩わが家で「自滅したい」「自滅したい」と言ってはらはらと泣き、泣きながら暴れるようになりました。「二次障害」と呼ばれるもの。そう言って問題はない状態だったと思います。

モノを投げつけてテレビ画面を壊しました。もう見られなくなりました。
モノを投げつけて、わが家の壁にはっきりわかる窪みができました。
わが子のその「荒れ」は夏場だったので、室内で薄着だった私のむき出しの腕・足はわが子のひっかき傷が絶えませんでした。
私の体に噛みつきの跡が残るのも日常茶飯事。

一番苦しかったのはわが子だったと思います。
私も妻も毎晩毎晩わが子を抱きしめました。
わが子からは「この世から消えたい」「生まれてきたくなかった」という言葉もありました。
救いにはならなかったかもしれませんが
「本当に『どうしても』の時がきたら、死んでもいい。その時は寂しくないようにお父さんが一緒に死んでやるから。もうその時は死んでいいよ。」
「だから、もうちょっとだけ生きてみよう」
本人にそう言いました。

でも私も妻も追い詰められ、もしわが子がこんな荒れた状態のまま体も大きく成長したら、その時は妻では抑えられないかもしれない。
刃物などを持ち出されたら、私もただでは済まず、妻を守ることもかなわないかもしれない。

そんな時、発達障害児を持つ先輩父親のネット上の手記(?)を見つけました。
(今探しても見つかりませんでしたが・・・。)

「正しいことでないことはわかっている。でも、力で抑え込むしかなかった。それ以外やりようはなかった。」
「うちの現状を知らない人からすれば、頑張りが足りない親に見えるのだろうな。」
「将来、俺はこの子を殺さざるをえないかもしれない。俺も後を追う無理心中ならこの子も家族も許してくれるだろうか。」

それを読んだ私の目からは涙がボロボロボロボロ落ちました。
「俺も同じことを考えました。考えざるをえませんでした」と。
でも、この方のおかげで私は少し救われました。「俺だけじゃないんだ」と。

その後、妻の頑張りで、私たちが住む地域でベストの発達障害専門の医師とつながることができ、「学校にはいかなくていい。私を後ろ盾としてくれていい」ということになりました。
不登校児が出ると学校としては体裁が悪いから登校させよう登校させようと色々言ってくると思うけど、無視していいから。今この子には学校のその状況から離れることが必要だよ」と。
私と妻は先生のその言葉に救われました。
わが子は2学期の途中から「不登校」となることで、少しずつ落ち着きを取り戻して行きました。

---------------------------------------------

そんな冬のある日。
「2学期が終わりますので、教室に置いてある教材を親御さんが小学校まで取りに来てください」と小学校から連絡が。
妻は珍しく(これまでで唯一)行くことを渋りましたので、普段の妻の頑張りに到底及ばない私がその任を引き受けることにしました。

そして、予想はしていましたが、学校に着いた私は校長室に通されました。そこには、校長先生に加え、教頭先生もいました。
私は二人にこう言われました。

「お父さん、奥様を説得していただけませんか。
私たちは教育のプロです。
奥様の考えに基づいて不登校になっている現状は、お子さんにとって良い状況とは思えません。
学校に任せてください。登校再開を促してください。
あなたのお子さんが頑張るのは『今』です。『今』頑張らせておかないと、後がさらに大変になるんです。
そして、お父さん。
夫そして父親であるあなたが頑張るのも『今』ですよ。違いますか?」

 

 

 

 

 

ふざけるなっ!!

とは言いませんでしたが、私は反論しました。
私は基本弱虫人間ですが、「なめてんのか・・・」の思いでした。

「あなた方は『教育のプロ』かもしれませんが、あなた方に私たち一家の何がわかるのですか?
わが子の何がわかるのですか?
いま妻が間違っているようにおっしゃいましたが、わが子のことを誰よりも必死に考え、勉強しているのは妻です。
その妻がその時その時でベストだと判断したことに私は異論はありません。
人間ですから、間違うこともあるでしょう。
でも、わが子については、『教育のプロ』だとおっしゃるあなた方よりも、妻の方がわかっているといま私は確信しました。

今は、わが一家そしてわが子をそっとしておいてください。
今わが子に必要なことは、『学校に行かないこと』です。
主治医もそう言ってくれています。(学校にはそう正式に何回もお伝えしました。)

わが子の成長は小学校の他の子より順調ではないのかもしれません。
将来、困りごとが多い人生になるかもしれません。
でも、わが子が頑張るべきは『今』じゃないです。
20歳25歳になった時に、なんとか自分一人でも生きていける力を身につけられていれば・・・という長い目でしか私はわが子を見ていません。
それでいい。そう考えるのがいい。私はそう思っています。」

その後、「いま奥様とは連絡がつきにくい状況になっているので、お父さんと連絡を取り合えるネット上の仕組みをお父さんのスマホに入れてくださいませんか」と粘られました。
「申し訳ありませんが、お断りします」とお伝えして、私は席を立ちました。

私たち夫婦はモンペなのでしょうかね・・・。

すみません、少しかっこよく書き過ぎました。ここまで一貫して「毅然とした感じ」ではなかったです。
私は基本弱虫人間ですから「いや・・・勘弁してくださいよ、マジで・・・」と、そういうへなへなモードの時間帯もありました。
でも、先ほど書いたような意味のことは本当に全部伝えました。

ふざけるなっ!!の瞬間は、風の谷のナウシカの髪が怒りでふわっと浮くような、私もああいう感覚になりました。
発達障害専門の医師・本田秀夫先生が、メディアで「発達障害の子どもには二次障害が起こることがよくあります」「発達障害のお子さんをお持ちの親御さんはそれだけでも大変なのに、周囲の無理解でさらに追い詰められるケースがあります」とそう発信してくださっているのに、「へぇ~、『教育のプロ』を自称するこのお二方はこういう感じで親を追い込もうとするんだね。。。へぇ~そうなんだ~。。。」と、引いた気分で見つめている時間帯もありました。偉そうですみません。でも、懐柔されず、追い詰められず、そう思える自分で良かったと思っています。

-----------------------------

発達障害の子のための飲み薬、わが家は見送りました。
妻がしっかり調べてくれて、メリット・デメリットの情報を共有し、医師にも意見を確認しました。
医師も「この子は無しでいいと思う」の見解で、当初からの我々夫婦の考え通り、薬は見送りました。
わが家・わが子についてはこれで良かったと思っています。

わが子は学年が上がり、自分でこういう思いを抱いたようでした。
「このままずっと学校に行かない自分のままでいいのだろうか。もう一回、登校にチャレンジしてみたい」と。

それで、わが子はまた学校に行くようになりました。1年生の時とは担任も変わっていました。
その後、完全な不登校はなく、日々を過ごすことができています。
ただ、自分のクラスである特別支援級で過ごすことはできず、今も短時間の「相談室登校」や「保健室登校」しかできていません。
それでも日々頑張って成長しています。

小学校に対して、一時期は感情のこじれもありましたが、その後色々よくしてくれましたので、今はそのへんについては感謝しています。

1年生の時とは違う新しく担任になった特別支援級の先生は、妻が色々と提案やお願いをする度に、毎度毎度きちんと校長先生に許可の働きかけをしてくれました。そして、校長先生からそのほとんどに「OK」が出ました。
妻は学校で校長先生をお見掛けする度に「ありがとうございました」とお礼を言い続けているそうで、妻と校長先生の関係は良好に戻ったそうです。
わが子のためのお願い提案をOKしてもらえているので妻のその態度は当然として、(その展開のおまけで)私の無礼も許してもらえているでしょうかね(汗)

わが子、学校では教室の勉強に参加できていないので、有名な学習系企業のタブレット教材で、わが家で勉強も頑張っています。
現在のわが子は「不登校」ではありませんが、勉強については「ホームスクール」に近い状態です。
苦手な教科もありますが、頑張っています。

色々ありましたし、今後も色々あると思います。

私としては、発達障害があって(もなくても)小学校がどうしてもしんどい子なら、不登校でいいと思います。
学校なんて、「いのち」を削ってまで行くところじゃないですよ。
学校なんて、「いのち」を削らせてまで行かせるところじゃないですよ。
私はそう思っています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
学校・幼稚園・保育園、現場の先生方が日々ものすごい労力で頑張ってくださっていること、承知しています。
部外者が軽々に「承知しています」と言うのがはばかられるくらい頑張ってくださっていることと思います。

わが子本位・わが子の親としてのせまい視点でのみ書かれたここ数日の一連の書き込み。
もし、教育界に関わる方のメンタルを削ってしまうようなことがあったとしたら、お詫びします。
そういった方々に。すみませんでした。

ーーーーーーーーーーーーー

下に貼り付けたこの歌、二日前の「幼稚園で透明園児扱い」の記事を作成していた時に知りました。当時のわが子の状況を歌ってくれているような歌はないものかと思って「ひとりぼっち」というワードで検索し出会いました。
幼児だったのにこんな思いをしていたであろう幼稚園時代のわが子、小学校低学年時代のわが子のことを思うと、涙があふれました。

わが子は今「生きていてよかったよ。この家に生まれてきてよかったよ」と言ってくれています。


www.youtube.com

cocreco.kodansha.co.jp

haruno-koukichi.hatenablog.com

学校の中の発達障害 「多数派」「標準」「友達」に合わせられない子どもたち (SB新書)

(後日追記:2023年8月5日)
本田秀夫先生は「教室にちょっとした工夫をすることで、発達障害等で困りごとを抱えている子のその困りことが軽減されるのであれば、その工夫は是非採り入れていただきたいものですね」というご意見を述べてくださっています。

親御さんが学校に何かお願いをするとすれば、それはうちの場合のように「自分の子」に関することで間違いないですが、その工夫や経験の蓄積が翌年以降に入学してくる子の助けになることもあるでしょうし、「うちの子はこういう特性があるので、こういうことを採り入れていただくのはダメでしょうか」というお願いをする親御さんがもしいた場合に、周囲が厳しい目しらけた目を向けないような社会だと、(うちだけではなく)お子さんが特別支援級に通っているような親御さんはありがたいと思います。

でも、日本全国の教育現場の皆様には本当に頭が下がります。
お疲れ様です。ありがとうございます。

 

(後日追記:2023年10月4日)
「ふざけるなっ!!」「なめてんのか・・・」の時の思い。
全て書かなくてもわかっていただけるのではないかと思い、投稿時は割愛したのですが、改めて補足しておきたく思いました。
私の怒りの理由は以下の四つでした。

●主治医の判断だと何度も正式に伝えていたのに「奥様の考えに基づいて不登校になっている」と言ってきたこと。「事実を曲げるな!」の思い。
●「奥様の考えに基づいて不登校になっている」と言われた私がそのままそれを受け入れるとでも思ったのか?の思い。
事実は「主治医の判断」なのに、私が知らないとでも思ったのか。私が育児に関わっていないとでも思っているのか?
私への失礼さも当然感じたが、世の中の父親全般に対する失礼さを感じた。「校長先生・教頭先生、あなた方二人は『世の中の父親なんてそんなものでしょう?』とでも思っているのか?」とそう思った。
●完全に妻が間違っているかのような言い方にも怒り。
教育現場の先生方、特に特別支援級の担任の先生方は、色々な特性の子どもに対応せねばならず、どうしても「広い知識」になる部分はあると思われ。
発達障害児の親が、自分の子どもの現在・将来を思い、自分の子のことを必死に勉強している場合、「その子について」に限定すれば、その子の親の方が小学校の先生よりも理解が深い場合は普通にあると私は思う。
私は妻のことをそう思っているが、校長・教頭が上から目線で人を馬鹿にしたような感じで話を切り出してきたことが不快だった。
●「夫の尊厳」を刺激してコントロールしようとするような卑劣さ。
私は「妻を従えている」なんてこれっぽっちも思っていないので、変な刺激のされ方はなかったが、「お父さんね、あんた、夫のくせに妻一人もコントロールできないんですか?」と、夫の「男のプライド」を刺激して児童の家庭のことをコントロールしようとするような卑劣さを感じた。
もし、普段育児に関わっていないくせにたまたまこういう場に来た父親だった場合、変に刺激されて、帰宅後「俺に恥をかかせるな!!明日からきちんと登校させろ!」というようなことを妻さんに言い出しかねないような、そんな夫も世の中にはまだいるのだと思う。私には、校長・教頭から少しそういう魂胆が感じられた。彼らには、そういう攻め口の「(彼らにとっての)成功体験」でもあったのか。私には「そういう追い込み方」は卑劣に感じられ、かなり「引いた気分」になった。(「引くわ~。俺がそんな手に乗るかよ・・・」と。)

以上の理由を持ちまして、その時の私は「風の谷のナウシカの髪が怒りでふわっと浮くような」、そういう怒りの感覚になりました。「なめてんのか・・・」の気分になりました。

トータルで考えても、私にはどうしても、校長・教頭の働きかけが「わが子の将来を思って」ではなく、「体裁が悪いから不登校児を0に戻したい」という目的によるものに感じられたのです。
2023年10月4日の後日追記、おしまいです。