こうきちの小屋 はるのこうきち雑記ノート

抱きまくら抱きしめて眠るおじさんの日々

じいちゃんの話

母方のじいちゃんの話をします。
一緒に遊んだ思い出はありません。

私が息子として所属していた「じいちゃんにとっての娘一家」がじいちゃんちに行くと、照れ隠しだったのか、日常が乱されるイライラだったのか、じいちゃんは決まってばあちゃんと夫婦喧嘩を始め、「頭に来た」と怒ってどこかに出かけて行きました。
何となく怖いじいちゃんがどこかに行ってくれて、孫としてはちょっとホッとする部分もありました。

じいちゃんはちょくちょく海近くの河口から大きな川ガニを獲ってきてくれました。河口に仕掛けを沈めてなのか、どうやっていたかわかりませんが、なかなかの量でした。
現代のように漁業権等が厳しかったら咎められる行為なのかもしれませんが、当時は多分問題なかったと思います。その頃だと、河口には天然ものがいくらでもいたのだと思います。じいちゃんのトタン板の車庫の中には、投網や仕掛け網がたくさんありました。漁師じゃないのに漁師みたいでかっこいいトタン車庫でした。

じいちゃんが獲ってきてくれたそのカニ、ゆでるとオレンジ色になって、カニみそ(?)もきれいなオレンジ色で。うまかった~。
分け前にあずかるこの時は「じいちゃんすげえ、じいちゃんありがたい」と思っていました。

じいちゃんは戦争に駆り出されたそうです。
原因は忘れましたが、目が片方見えてないと聞きました。
それでも、不自由を感じさせずに過ごしていました。

事業主ではありませんでしたが、仕事はやり手だったそうです。
で、夜遊び・浮気(?)も激しかったらしいです。
ばあちゃんはエネルギーあふれる強い人でしたが、じいちゃんの夜遊びについては泣かされていたそうです。

後年、ばあちゃんが先に介護入院することになり、それまでの罪滅ぼしの気持ちもあったのでしょうか、じいちゃんは献身的に付き添ったようです。
ただ、これまでの鬱憤を晴らすべく、ばあちゃんは毎日毎日じいちゃんをなじりまくっていたそうです(苦笑)
それまでばあちゃんの味方でじいちゃんを苦々しく思っていた娘(=私の母)達も、「認知症の症状が出始めたから仕方ない面もあるけど、さすがにあそこまで毎日毎日なじらなくてもねえ・・・。じいちゃん今はあれだけ献身的に頑張ってくれてるんだしねえ・・・」と、多少じいちゃんに味方する気分も生じていたようでした。

その後、ばあちゃんに先立たれ、じいちゃんも随分弱ってしまっていた頃。
私が帰省したタイミングで、じいちゃんが娘(=私の母)達に付き添われ、私の実家に遊びに来ました。
じいちゃんを何とか元気づけたいという目的の一日のようでした。
ただ、じいちゃんは私の実家である団地の上階までは自力で上れない状態でした。
それで、私がおんぶして上りました。
じいちゃんはそれをとても喜んでくれました。

その日は、昼食として母が「ツナときゅうりが入ったホットサンド」を作りました。
「ほぉ~、これはうまいなあ。初めて食べるぞ」とじいちゃんはおいしそうに食べていました。
食が細くなったじいちゃんがこんなに食べるのを見るのは久しぶりだと母と叔母が言っていました。

帰省から戻った私に一通の葉書が届きました。
じいちゃんの自筆の手紙でした。
「おんぶして上ってくれてありがとう。じいちゃんはうれしかった。
もう少しがんばって生きていこうと思う。
本当にありがとう。こうきちがおんぶしてくれたこと、わすれない。
もう一度元気で会うぞ、頑張って。
こうきちも頑張れ」
そのようなことが書いてありました。私もうれしかったです。

その後、じいちゃんも本当に弱ってしまい、介護入院することになりました。
「早くばあさんのところに行きたい」が口癖のようになっていたそうです。

認知症の症状も出て、私がお見舞いに行っても、私だとはわかっていないようでした。
でも「よく来てくれたな」とうれしそうでした。(誰に対してもそうだったと思いますが・・・。)

母、父、帰省した私の三人でじいちゃんのお見舞いに行った日。じいちゃんのベッドの横で三人で時間を過ごしていました。本を読むなどしながら。
実家から出ていて両親と時間を過ごすことが貴重になっていた私としては、何となく特別な時間に感じられていました。
窓ガラスの外の天気もよく、陽射しやさしい穏やかな穏やかな午後でした。
私はとてもやさしい気持ちになって、自然に、本当に自然に鼻歌を歌っていました。

その瞬間、ベッドを挟んで向かいに座っていた母が、とてもきれいに口からお茶を吹きました。
虹のような放物線でした。
「お見舞いの病室で歌を歌う人がいるかね!?」というのが母の言い分でした。

バラエティ番組以外で、人が口から液体を吹くのを見たのは初めてでした。

ちょっと咎められましたが、私にはいい時間でした。
じいちゃんは寝ていましたが「いい、いい、面白い面白い^^」と笑って許してくれているように思いました。

 

じいちゃんが亡くなった日。亡くなる瞬間、私も病室にいました。
「じいちゃん、もう十分頑張ったよ。行きたがっていたばあさんのところに行っていいよ」親類皆がそう思う大往生でした。

じいちゃんからの自筆の手紙は、今でも私の本棚に大事にしまってあります。
別のもう一通、甥っ子が小学校低学年の頃に「今一番会いたい人に送りましょう」の授業で私に送ってきてくれた、甥っ子自身が描いた絵葉書と一緒に。

じいちゃんからつながって、今、私たち子孫がこの世に生きているんだなあ・・・と思います。
ありがとう、じいちゃん。(浮気はダメだと思うけどね。)

天国でばあちゃんにしっかり謝ったかな?・・・って思うけど、ばあちゃんと照れ隠しの夫婦喧嘩してそうだなあって思います。

 

 

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