こうきちの小屋 はるのこうきち雑記ノート

抱きまくら抱きしめて眠るおじさんの日々

平和学習で見せられた戦争のアニメ

私が小学生だった頃の私が住む地方では、夏休みの出校日に体育館で戦争のアニメを見るのが毎年の恒例でした。
平和学習とのことでした。

私はこれが嫌でした。

退屈だとか暑いとかではなく、一番の理由は「怖い」
二番目の理由は、「(子どもながらに胸を痛めて)数日間落ち込むことになってつらい」

はだしのゲン」だけでなく、色々なものを見せられました。でも、今思うと、これらの戦争アニメによって、戦争の悲惨さ、原爆の悲惨さを叩き込まれたように思います。
私にとっては有意義だったように思います。

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他のアニメ映画の話に変わりますが。

ハウルの動く城」にも戦争のシーンがあったように思いますが、あまり胸が痛みませんでした。
宮崎駿さんが「この作品ではそれが主題ではないから」と恐怖を感じさせる表現をしなかったから(?)かもしれません。
主人公サイドが直接的な被害を受けていなかったからかもしれません。(直接的な被害、受けてましたっけ・・・?)

舞台がヨーロッパ風だったからかもしれないです。
(私に関して言えば、「日本のことでなければ痛みを感じにくい」というのは間違いなくあると思います。今も世界で起こっている戦争紛争などに対して、なかなか自分事としては捉えられていない今の私がいます。)

これは平和学習の失敗なのか。(私の受け取り力不足のせいか・・・)
逆に、私が子どもの頃に受けた平和教育の根底に「(外国のことは置いておいても)日本に関することではきちんと痛みを感じるように」というものがあったからなのか。
そのへんについては、別に、そのどちらでもないかもしれませんが。


私が見た別のアニメ映画では、「たった数分間」ですが戦争で日本の町が空襲を受けるシーンがあり、私は胸が痛みました。(私の場合は、ですが。)

この映画の空襲シーンで私の胸が痛んだのは、
私の感受性によるものなのか。(自分でいうと恥ずかしい。)
製作者が「この作品の主題ではないが、それも伝えてはおきたい」と胸が締め付けられる表現をしたからか。
平和学習がきちんと実を結んだということなのか。
ただ一点、「私が日本人だから」か。
(外国のことでは痛みを感じにくくても、日本に関することでは相応に痛みを感じる、と。)


私としてはただ単純に、
「あのアニメの数分間は胸が締め付けられたけど、
ハウル』の戦争シーンでは胸が痛まなかった。
これはなぜなんだろう?」
そう思いました。(ただ一点、「私が日本人だから」でしょうけどね。)

「戦後の日本の教育に問題はなかったのか・・・?」というようなことは何も知りませんし、わかっていません。
今回の記事では、そういう難しいことは私としては何も考えていません。

何か気が利いたことを書きたいというような思い、今回はないですよ。
(私の投稿には、そういう欲が滲みまくっている記事もありますが(苦笑))

今回は本当に、「そういうことを思った日がありました」というだけの、
ただそれだけのお話です。

 

 

はだしのゲン 第1巻 青麦ゲン登場の巻