こうきちの小屋 はるのこうきち雑記ノート

抱きまくら抱きしめて眠るおじさんの日々

「今日拾った言葉たち」武田砂鉄

今日拾った言葉たち

私、あまり「尊敬している」という言葉を使わないのですが、この本の著者、武田砂鉄さんのことはひっそりと尊敬しています。
お名前はペンネームのようですが、顔もさらした上で、政治やその周辺のことについて、おかしいと感じたことはおかしいときちんと表明なさっていて、敬服しています。

この本、面白かったです。(面白いと言っていいのかな・・・?いいと思いますが。)
勉強になりました。

P23 (2016年のブロックにて)

90歳になって老後が心配とか、わけわかんないこと言っている人がこないだテレビに出てたけど、オイ、いつまで生きているつもりだよと思いながら見てましたよ。
麻生太郎 副総理兼財務相
小樽市での講演会で(6月17日)
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政治家の○○が失言を、という報じられ方がある。それは本当に「失言」なのだろうか。いつもそんなことをばかり繰り返している人がいる。それは「失言」ではなく「本音」であり、本音でそう述べているのであれば、その立場を辞するべきだろう。彼のこうした発言は今回に限ったことではない。彼は、2013年、高齢者の終末期医療について「さっさと死ねるようにしてもらうなど、いろいろ考えないと解決しない」と発言したこともある。「役に立たない老人は死ぬべし」との本音を時折こぼしてきたのだ。いや、あなたも老人だろうとは思うが、彼自身は、自分のような立場の老人は別だと考えている。だから、こんなことが言える。選民意識を持っている人が政治を動かしている。退くべきだ。

 

書籍でも実際に太字になっていた麻生太郎さんの発言。

90歳のご老人が本当にその先の日々のことを指して「老後」とおっしゃったのであれば、そこの部分の可笑しみはあると思います。それは私も思います。「じゃあ、75歳くらいから今日までの15年間は何だったんですか?(笑)」と。
でも、そのご老人がつい最近まで現役で労働し報酬を得ていたなら、「これからは年金だけになってしまう。大丈夫かな・・・」と不安になる気持ちはあると思います。特に国民年金だけになる場合なんかですとそうですよね・・・。

高齢者終末期医療とは少し違う話になりますが、近年では日本でも「延命治療は望まない」と事前に家族に伝える方の話や、外国では尊厳死を認めている国もあるというような、そういうニュースを見ることも多くなってきたような気がします。
問題提起のされ方によっては、国民がみんなで考えるに値するようなこともあるのだと思います。

でも私、麻生太郎さんの肩を持つつもりはないです。
麻生さんの場合は、個人の尊厳を尊重することとは「逆」の考え方が根底にあるようで・・・。

庶民が「可能なら、最後まで人間らしく、自分らしく生きたい」と願う(=「自分らしく死にたい」と願う)。
そういう思いにきちんと寄り添える人に政治を動かしてほしい・・・と、私なんかはそう思います。

そういうことをトータルして、武田砂鉄さんのご意見に私も賛成の一票。

私は小心者なので、武田砂鉄さんのように「選民意識を持っている人が政治を動かすべきではない。退くべきだ」という確固たる意見表明はできず、でも小心者の私でも「選民意識を持っている人たちに政治を動かしてほしくない」、そう思います。

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話は変わりますが、この武田砂鉄さんがタモリ倶楽部のゲストに呼ばれている回がありまして。
武田砂鉄さんが書いた文章が大学入試に採用されたとのことで、「ここでの著者の思いを以下から選びなさい」という入試問題を、他のゲストと一緒に解かされていました。
武田砂鉄さん、悪戦苦闘し、「不正解」してました。ぷぷぷ。著者なのに(笑)

・・・というか、著者が間違えるということは、「問題の方が悪いんじゃないのか?問題作成者の理解が間違っているんじゃないのか?」と私はそう思いました^^

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今日のニュース

mainichi.jp

※私、ある過去記事内の後日追記で、ひっそりと「9月22日までは予約投稿を完了した」と書いたのですが、今日のこの記事は当初予定していた記事と差し替えました。ええ、わざわざログインして差し替えましたよ。当初予定していた記事が「だからどうした」というような、どうでもいい記事でしたので。
私の普段の記事全てが「『だからどうした』の記事ばかりじゃないか」と言われると返す言葉が無いですけども・・・。