もう数十年前のこと。20歳を少し過ぎた頃でしょうか。
恥ずかしながら、幼少期から自己肯定感が低かった私は、20歳を過ぎても「俺はなぜこんな人間なんだろう・・・」の只中にいました。
「加藤諦三さんの本」を何冊も読んでしまっていましたし。今思うと、私は手を伸ばさない方がよかった気がします・・・。加藤諦三 - Wikipedia
もし、そのタイミングで手にしたのが河合隼雄さんの本だったら・・・と思わなくもないです。Amazon.co.jp: 河合 隼雄:作品一覧、著者略歴
(まあ、そう思うのは「今思うと」ですし、「私の場合は」ですが。)
そんな時に、ある人から
「『自分はなぜこうなのか、なぜこうなったのか』に目を向けることが必要な場合も確かにあると思う。
でも、お前の場合、
『これからどうなりたいのか』
そのことに考えを向けるべき時に来ているんじゃないだろうか」
そう言われました。
私、まさに「目から鱗が落ちる」の思いがしました。
「ああ・・・。そうか・・・。」と思いました。
私は、バカだった自分では思いつきもしなかったこの新鮮な意見を素直に受け入れました。
その人は続けました。
「『本当ならこうなりたい・・・でも無理だ・・・。でも・・・本当ならこうなりたい・・・。でも無理だ・・・』
そんな堂々巡り、お前はもう卒業しろ。お前なら卒業できる。
なりたいんなら、なるしかないんだ」、と。
後段については、
希望としてはあっても自分とあまりにキャラが違うようなことであれば、「なれない」ものも「なる必要がない」ものも、あると思います。
それに、彼も言及していたように、『自分はなぜこうなったのか』に目を向けることが必要な場合も間違いなくあると思います。
でも、彼が言ってくれた
「『なぜこうなったのか』ではなく
『これからどうなりたいのか』
そのことに考えを向けるべき時に来ているんじゃないだろうか」
その時の私には、これは胸に響きました。
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今回のこの言葉をくれた人物と、過去記事で書いた「長距離歩行の話を紹介してくれた人物」は別人です。
色んな人からの色んな言葉が自分の中で醸成(?)されて、「90km歩こう」につながったように思います。
その過去記事にも書きましたが、歩き切った直後に感動は無かったです。
でも、あの時の自分が、自分のためのお百度参りをやり切ってくれたことが、今の自分の何かしらの力にはなってくれているように思います。
haruno-koukichi.hatenablog.com
そして、最後に。
何よりも私に力をくれたのは、思いがけずに言われた「お前なら卒業できる(お前ならできる)」だったようにも思います。
私を批判する流れでのフレーズではなく、上から目線の説教でもなく、「もったいないぞ」というニュアンスでそう言ってもらえたことが、私の背中を押してくれたように思います。
数十年経った今、そう思います。