こうきちの小屋 はるのこうきち雑記ノート

抱きまくら抱きしめて眠るおじさんの日々

友情(吉本ばななさんの言葉を借りて)

以前、吉本ばななさんの書籍、「吉本ばななが友だちの悩みについてこたえる」を下の記事で紹介させていただきました。

haruno-koukichi.hatenablog.com

吉本ばななが友だちの悩みについてこたえる (朝日文庫)

その本の中にこういう一節がありました。(P92)

これは私にとっての友情観であって、皆さんにとってはまた違ってくるのでしょうが、「友だちの部屋にあがって、ごろんと寝転んだり、何か飲み物ちょうだいと言えるような関係」じゃないと友情とは呼べないと思っています。お邪魔しますと言って、お家にあがってちょこんと椅子に座っている関係は、下町育ちの私にとっては友だちではなく知り合いです。
相手の部屋でごろんと寝転がれる友だちというのは、一生のうちでたくさん作れる存在ではありません。そこまでの関係を作るには時間もかかりますし、大前提としてお互いのことが大好きじゃないといけない。

 

私には、そういう相手がいました。相棒でした。
今は、とてもとても気軽には会えない距離に住んでいますが、彼が出張で近くに来ることがあれば、(数年に一回のペースで)酒を酌み交わします。
吉本ばななさんの先ほどの記述を読んだ時、「ああ、相棒。俺の相棒でいてくれてありがとう」と思って、胸があたたかい気持ちで満たされました。

 

私と相棒の間には、何回か危機もありました。完全に私側の問題で。
相棒が私より早く結婚し、しあわせな家庭を築いている彼からの写真付き年賀状や、彼からの「はるさん、誕生日おめでとう」のメールが、その頃の私にはしんどく、少しの間、距離を置かせてもらいました。
でも、あれは彼の熟慮の結果だったのかもしれない・・・と思っています。
「みんなに写真付き年賀状を送っているのに、はるさんに対してだけ写真無しの年賀状にするのは、気を使いすぎで逆にはるさんを貶めている気がする。
はるさんなら、祝福してくれているはずだろ?だから敢えて『気を使わない』形にさせてもらっているよ」、と。そういう熟慮。
違うかもしれませんが(笑)

その相棒は、私にとっては本当に「相棒」だったなあ・・・と思います。
遠く離れ離れになり、お互いに家庭を持ち、年も重ね、なかなか昔のようにバカ話はできませんが、またいつかあの頃のようなバカ話をしたいな・・・と思います。

子どもの頃、私が相棒の家を訪れた時。
相棒が不在のこともあったのですが、相棒のお母さんは私を家に上げてくれました。
「もうすぐ帰ってくると思うから、部屋で待っていなさい」と。
相棒のお母さん、ありがとうございました。

そして、相棒のお父さん。仏様のような人でした。
相棒が「お父さんが怒っているところを一度も見たことがない」と言っていました。
息子でも見たことがないくらいなので、私も当然、相棒のお父さんが怒っているところを見たことはありませんでした。

そんな柔和なお父さんでしたが、「男は泣くな」の時代を生き抜いてきた方でしたので、相棒曰く「泣いているところも見たことがなかった」

でもある日、相棒から衝撃の報告が!!
よそのご家庭のことなので、具体的なことは少しだけぼかします(笑)

少しだけぼかしますが・・・
お父さんメインで観ていたわけではない、相棒一家が観ていた「ある名作アニメ」。放送が一年に及ぼうかという連続もの。
ストーリー上はもっと長期間かもしれない、そんな長期に渡ってつらい思いをしてきた主人公の少女が、最終回でようやく「しあわせな日々」に帰還できた。
それを相棒一家が見届けた瞬間。
お父さんが、子どもに先駆けてぽろぽろ泣いていたのだそうです。肩を震わせて。
それまで一度も家族に涙を見せたことがなかったそのお父さんが。こたつのお父さん席で。
こらえ切れなかったのでしょうね^^

「俺、初めてお父さんが泣くとこ見てしまったよ!!」との報告の際、相棒の態度から「この話面白いでしょ?!ウケて!ウケて!」という熱を感じたので、私も笑っていい話だったのは間違いないのですが・・・、

そのお父さんは、数年前にお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りしました。
「こんな優しい大人がいるんだ・・・」と子ども時代の私が心からそう思うくらい本当に仏様のような人で、多くの人に慕われていました。
天国から、息子を(私にとっての相棒を)見守っていることと思います。