こうきちの小屋 はるのこうきち雑記ノート

抱きまくら抱きしめて眠るおじさんの日々

「ことり」ありがとう

わが家でかわいがっていた最愛の小鳥が旅立ちました。急なお別れでした。

10月26日の「替え歌」の記事(ハムスターのハムーの思い出の記事)、
その記事の最後に

〉今かわいがっている「ことり」が死んだら、
〉その時の喪失感もすごいと思います。。。
〉「ことり」、長生きしてくれよ^^

と書きました。

心からそう願っていたのですが、その「ことり」が旅立ちました。
想像もしていなかった急なお別れでした。

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ことりとの日々。

朝、私が自分の昼用の弁当を作り終え、「お待たせ。出ていいぞ~」とかごを開放すると、うれしそうにぴょこっと出てきていたことり。
そして、私が朝食を摂る間、その後に新聞を読んでいる間。私のてのひらで寝てくれていたことり。
私が朝の歯磨きをする間。電車の揺れを楽しむように私の腕に乗っていたことり。
「父さんこれから仕事だから。また夜にね」と私が声をかけ、かごの中にぴょこんと戻って行っていたことり。

自宅に妻もわが子も不在の時に私が最初に帰宅すると、(誰の時もそうですが)私の姿が見えないうちから鳴いて出迎えてくれていたことり。
在宅中の私が気がつかなくても、妻とわが子が帰宅したことをいち早く察知して大喜びで鳴いていたことり。

私の鼻の穴をつんつんしてくれていたことり。
風呂上がりの私のほんわかてのひらが好きで、いつもそこで寝てくれていたことり。

誰かが自分のそばでペンを使うと必ず、ペンに対して怒っていたことり。

水飲み用の水入れにちゃぽんと浸かって水浴びを楽しんでいたことり。「おいおいそれは飲む用だぞ」と、水浴び用に別の器を入れてあげても、かたくなに「飲む用」の方で水浴びライフを満喫していたことり。

私以上くらいに妻にもなついていて、妻が独特の包み方で手に収め、鳥笛を吹くような感じで頬や口元をことりの背に寄せていました。それをうれしそうに許していたことり。
(私には、それは許してくれなかったことり。)
わが子のことが特に大好きで、わが子がトイレに行く時について行こうとしていたことり。
自分でも自分が家族の一員だと思っていたはずのことり。「かごから出たい」のアピール上手で、出してもらうと誰かしらのそばにいたがったことり。


わが家は今しあわせですが、数年前、わが子が苦しみ、私も妻も苦しんでいた時期。
一人になる時間があれば、ことりをてのひらに載せてなでなですることで、こちらがことりに癒してもらっていた日々。
私だけではなく、妻もおそらくそうでしょう。

家族の一員として、私たちの心を癒してくれていたことりの突然の旅立ち。
命あるものはいつか死ぬとわかってはいましたが、悲しいです。

わが子、私が子どもの頃に比べると「悲しい」という理由の涙はあまり見せないのですが、今回は大泣きしていました。

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ことり、ありがとう。

ハムーのことも忘れてないし、ことりのことも忘れない。
(何年経っても。)

身近なものの死に際して、悔いのないように。
死に際して悔いがないように日々過ごすことの大事さを、ことりが改めて教えてくれたように思います。

ことり、大好きだったよ。
わがこうきち家のみんなを癒してくれて、ありがとう。

悲しいけど、君と過ごした楽しかった日々を思って、カテゴリーは「にっこり」にしたからね( î ‐ î )

ここのところブログはお休みにしていたのですが、ことりと過ごした日々を記録しておきたくて、この記事を書きました。

 

 

 

ウルフルズトータス松本さんの「泣きたくないのに」を聴きました。