こうきちの小屋 はるのこうきち雑記ノート

抱きまくら抱きしめて眠るおじさんの日々

「やらされるのでは?」とおびえた日

そうだった。こんな感じだった。学校に行くのが憂鬱だった日々。
それを思い出した。

わが子の付き添いで一緒に出向いた日。
運動系の行事で、私は見守るだけで良いはずだった。
もったいつけずに言うと、実際、見守るだけで終わった。

でも、行きの道中にこんなことが頭をよぎった。
進行役の大人が、サービス精神のつもりでこんなことを言わないかと。
「保護者のみなさんも良かったら遊具で遊んでください。
久しぶりに鉄棒で逆上がりなんてどうですか?
お父さんの勇姿を見て、お子さんも喜びますよ!」

そんなことを言われた日にはどうすればいい・・・
気が重くなった。胃がぎゅ~んと縮み、沈み込んでいった。
行きたくなくなった。

ああ、そうだった。
私は小学生時代、毎日こんな気持ちだったのだ。

そして、わが子は今、毎日こんな気持ちで学校に行っているのだ。
私のこんな気質を遺伝させてしまって、本当にすまない。
そうわが子に思った。

 


私は中学3年生の時の逆上がりのテストで、それまで何度やってもできなかった逆上がりに初成功した。奇跡のようだった。
でも、それがまぐれだったらと思うと怖くて、繰り返しやってみるということを回避した。テスト後の自由時間には、できるわけがない懸垂逆上がりに「なんちゃってチャレンジ」するだけで時間をつぶした。お茶を濁した。

次に逆上がりをやってみたのはずいぶん後。成人してからだった。
その時は筋力がついていたので、ぶらさがると地面にお尻が着くくらいの低い鉄棒で、ゆっくり足を浮かせて足上げ腹筋のような体勢になってから、懸垂逆上がりをやった。
できた。
かつて、どうあがいてもできるわけがないと思っていた懸垂逆上がり。
それができた。
記憶の改変があるかもしれないが、自分ではそうだったと思っている。
力づくの懸垂逆上がり。
だから、「勢いよく地面を蹴って後頭部から逆さまになる」という、その動きは回避したままだった。

(ただ、成人してから普通に地面を蹴っての逆上がりを成功した記憶もある。
「あ、今ならできるんだ」と思ったその時の場所も憶えている。でも、その日だけ。ほんの2,3回やっただけだ。)

そして今に至る。
だから、かつて普通に逆上がりができていた子のように「いつでもできる」という感じの「身に付き感」が全くない。
体感がない。体験がない。怖い。
今の私は、地面を蹴って逆上がりを成功させるというイメージを全く持てない。
その上、今は懸垂が一回もできなくなっているのだ。

そんな今の私に逆上がりができるはずがないのだ。
「そんなじじいに人前で逆上がりをさせようとするなんて鬼かよっ!鬼かよ~(涙)」
私の見た目がまあまあスポーツおじさんであることが恥ずかしさを倍加させるだろう・・・。

実際には起こらなかったそんな場面を想像し、絶望的な気分になった私だった。

でも、忘れかけていた子どもの頃の自分に会えて、今のわが子の気持ちをこれまでより正確にわかってやれたような気がする。

そういう時の心境、たまらないよな・・・。わかるよ。

「今日は何をやらされるんだろう」「今日は何をやらされるんだろう」

私は毎日そうおびえながら学校に通う子だったのだ。

お父さんのそんな気質を遺伝させてしまって、ごめんな、わが子よ。

 

でも、かつてのそんな私は、学校を休むことで自分だけ授業がわからなくなることを恐れ、皆勤賞をもらうのだった。
毎日おびえながら登校する皆勤賞少年。それが私だった。

 

わが子よ。お父さんは今思うけど、生きていれば良いこともあるよ。
人生、わるいことばかりではないよ。大人になるのはわるくないよ。

学校を全然休まなかったお父さんは今思うけど、「学校を休まないこと」に大して価値はない。そんなものに意義はなかった。
行けない時は休めばいい。休んでいい。(むしろ、休め!)

その代わり、将来なりたい自分の姿があるのなら、そのことについては自分なりに頑張るんだぞ。(自分なりに、でいいんだ。)
そこはガッツだぞ!

おわびとともに、その言葉をわが子に伝えたい。

 

 

 

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