こうきちの小屋 はるのこうきち雑記ノート

抱きまくら抱きしめて眠るおじさんの日々

「傷つかなくなることについて」(村上春樹さん)

村上朝日堂はいかにして鍛えられたか(新潮文庫)

エッセイ本「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」に、『傷つかなくなることについて』というタイトルのエッセイがありました。
たしか20代で初めて読んだ時は「そういうものなのかな・・・」「俺もそうなれるかな・・・。なれたらいいな・・・」と感じていたように思います。

30代半ばだったか、40代になってからだったか。
改めてこのエッセイを読んで、「うん、よし。俺もそういうふうになりたい」と思い決めたのだったか、それとも「村上さん、確かに僕も気がつけばそういう心持ちになっていました。あなたの言う通りでした」と思ったのだったか。
それは忘れましたが、私は自分が「村上さんが書いてくれていたような心持ちの中年」になれていることに気づいてうれしくなった瞬間がありました。

本当はこのエッセイの全文を引用したいところですが、さすがにそれだと引用し過ぎの気がしますし、何せ、私は利き手の指一本でキーボードを叩いている「一本指打法」の男ですから、引用は一部にとどめたいと思います。

 

「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」  ソフトカバー単行本(P122~126)

村上朝日堂はいかにして鍛えられたか

「傷つかなくなることについて」

(前略)
たとえば若いうちは、僕もけっこう頻繁に精神的に傷ついていた。ささやかな挫折で目の前が真っ暗になったり、誰かの一言が胸に刺さって足もとの地面が崩れ落ちるような思いをすることもあった。思い返してみると、それなりになかなか大変な日々であった。この文章を読んでいる若い方の中には、いま同じような辛い思いをなさっておられる方もいらっしゃるかもしれない。こんなことで自分は、これからの人生を乗り越えていけるのだろうかと悩んでおられるかもしれない。でも大丈夫、それほど悩むことはない。歳をとれば、人間というものは一般的に、そんなにずたずたとは傷つかないようになるものだ。
(中略)
でも僕が年をとってそれほど傷つかなくなったのは、人間が厚かましくなったからという理由からだけではないと思う。ある日を境に「年をとった人間が若者と同じように精神的に傷ついたりするのは、あんまり見栄えのいいものではない」と認識するようになって、僕はそれ以来なるべく傷ついたりしないように意識的に訓練を積んできたのだ。どうしてそのような認識に至ったかというのは長い話になるので、ここでは述べないが(述べないことが多くてすみません)、でも僕はそのときにつくづく思った。精神的に傷つきやすいのは、若い人々によく見られるひとつの傾向であるだけではなくて、それは彼らに与えられたひとつの固有の権利でもあるのだと。
もちろん年をとっても、心が傷つくことはいくらでもある。でもそれを露骨に表に出したり、あるいはいつまでも引きずっていることは、それなりに年齢を重ねた人間には相応しいことではない。僕はそう思った。だからたとえ傷ついても頭にきても、それをするりと飲み込んでキュウリみたいに涼しい顔をしているように心がけた。最初はなかなかうまくは行かなかったけれど、訓練をかさねるうちにだんだん、本当に傷つかないようになってきた。もちろんこれはニワトリと卵と同じで、傷つかないようになったからこそ、そういう訓練をすることも可能になったのかもしれない。どっちが先でどっちがあとかはよくわからない。
(後略)

(※「歳」と「年」が混在していたり、漢字でも良さそうなところが平仮名だったりするのは、原文の通りです。あと、太字部分は原文では傍点が打ってありました。私が傍点を付けられないので、太字にさせていただきました。)

それで、私の場合、例えば、絵本のコンテストに応募したのに落選してがっかりしたことや、その直後に江頭さんのユーチューブを観て励まされ落涙したことなどを開けっぴろげにしてきていますので「それなりに年齢を重ねた人間には相応しいことではない」、そんな態度も多いのかもしれないです(汗)

でも、昔に比べれば傷つきにくくなったし、「表明することが逆に恥ずかしさにつながるような取るに足らない傷つき」については、匿名のブログではあっても表に出さないようになっているように思います・・・が、他人が見るとまた印象は違うかもしれませんね(汗)
「いや、はるのこうきちさん、あなたは年齢不相応に現在の自分の傷つきを表明していると思いますよ(失笑)」、と。

・・・う~む。そうですね。自分で認めます。私は年齢には不相応に傷つき体質を残しているようだ、と。
でも、「自分比」で考えると間違いなく、若い頃よりは傷つかなくなりました。若い頃よりは、傷ついても表に出さずに済むようになりました。そのことは自分で認めたい私です。

 

予約投稿のこの記事を作成していたちょうどその日に、はてなブログで「多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。」という本を紹介してくれている方がいました。

多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。

 

私はこの本は読んだことがないのですが、表紙が素晴らしい^^
表紙が全てを語ってくれているようで、紹介くださったその方も「中身はこの表紙ほどのインパクトはなかったなという印象・・・」とのことでした。
でも、本当にこの表紙に書いてある通りですよね。

もし、今日たまたま私のこの記事をクリックしてしまった方が

「世間的には『若くない部類』に見られているであろうこの俺(orこの私)・・・、なのに普段やたらと傷ついてるよ!それをアピールしているよ!若くもないのに悪うございましたね!!」というような感じで何かしら癪に障ったとしたら・・・。

だとしたら、今がまさに「さっきの表紙」を見るべき時です!!

私なんか毎晩缶チューハイ飲んで馬鹿笑いしているようなアホ中年ですからね、今この時も赤ら顔で缶チューハイ飲んでるかもしれないんですよ?!
こんな腐れおじさんの戯言など相手にせずに、ドーナツでも食べてくださいニャー(笑)

この本の表紙、ほんといいですよね(^-^)
私、いやなことがあった日はこの表紙を見にこようと思います(笑)

 

haruno-koukichi.hatenablog.com

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